自分にはできないこと、人ができないこと、できないという価値。



すごい人を追いかけるだけの視点でいると、
大切なことを見落とす。



「人にはできないけど、自分には当たり前のようにできてしまうこと」



その「価値(魅力)」。


自分に「ないもの」を探すのは、
もしかしたらとても簡単かもしれない。



一方で、


自分に「あるもの」、
自分だけに「できていること」って、

自分にとってはごくごく当たり前過ぎて、
その存在から大きさまでピンぼけしてしまってる。



老眼のおばさまが近いものほどよく見えないようなあれ。


クロースアップマジックは近いからこそタネが分からないようなもの。





同時に、


「人は自分だけの能力(魅力)にあんまり気付きたくないんじゃないか?」


って最近思うようになりました。





学生時代から、後輩だったり他大の学生にマジックを教えるということをやってきました。



社会人になってからは一般の方にも。


「マジックって練習すれば誰だってできるようになる」
と僕は思ってましたが、

少し異なるのだと分かりました。



体質的に?センス的に?才能的に?

「得意不得意がある」

と。



・ある人はコインマジックよりもカードマジックが得意。


・ある人は指先の技術よりもしゃべりが流暢で面白い。


・カードマジックの中で、ある人はこの分野が、ある人はこの分野の上達が早い。

・マジックに感情をのせるのが上手い、下手。

・ルックスがマジックに活きる、活きない。


…というように。



そういえば大学2年生の時、


一時、男子3人、女の子1人(うち3人が未経験者)に対して同じマジックを同時に教えていたことがありました。

(サークルのシステム的にそうなってました)



その頃、こういうことを強く感じ始めたのかもしれません。





小学生の頃も中学生になっても、


僕たちは何か目標を「与えられて」、
そこへ向かって「進まされる」
じゃないですか?



ある基準に到達したらOK!
数字が足りなかったらダメと。


そうやって、
「外の基準」を満たせばよくて、
「(今の)自分」ではダメってことを長く僕たちはやってきました。



だから、

今さら

「自分にも優れた部分がある」

って気付いたり認めたりするのは、

とっても不思議な感覚であるはずなのです。



(勉強がつまんなくなっちゃったり、
  多くの人の流れに馴染めず代わりにマジックをこう続けてきたことは、
  僕にとってネガティブな出来事でもあるんです、いまだに。)





「練習さえすれば誰だってマジックはできる」



以前はそう信じて疑いませんでしたが、
今は違います。


マジックが苦手な人もいる。
僕は得意だった、才能があった、と。



こうやって自分の感性を認めるってことは同時にですよ、


「自分は●●に関しては苦手で下手なんだ」

ってことも受け入れなくてはいけません。



自分を見つめるってそういうことです。
子供の頃のように、素直になるってことです。






最後に、

「できない」って魅力や与え方

なんだということ。



もし人類全てが僕のようにマジックができたとしたら、
僕がパーティーに行く意味ってありません。


僕がレッスンをする意味ってありません。


僕の喜びもありません。


僕がもし完璧人間で、あらゆる才能を持っていたら、
周りの人は僕を助けることができず、
一緒に協力して何かを実現するということができません。


昔の僕は、
一人で何かを達成することこそ美しいとか楽しいとか思ってました。


(そう思ってる人はどうぞそういう生き方をしてみてください、そして何が味わえるか…)



完璧(主義)でエリートの女の子って魅力ないじゃないですか?


魅力というか、関わるチャンスがないですよね。



人は手伝ってあげたり、自分の力を発揮できた時、

喜びを感じます

から、


それは相手の

「できない」

によってもたらされるわけです。



自分に「できない」があればあるほど、
それは

誰かの力、やりがい、楽しさになる

ってことです。





「自分にできないこと」
「自分にできること」

もっと堂々受け入れていいと思いません?



マジックアーティスト Matty


先日結婚式1.5次会パーティーの打ち合わせをしてきたんですけど、
新郎新婦さん司会者さんプランナーさんと、
まるで文化祭準備期間のようなノリでした♪
こういうみんなで創る空気感が僕は好きなんだなぁと思いました。



今日はこの曲




人との出会いで「自分」が分かってくる。



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