誰かと同じで安心する人、誰かと違って安心する人。


ふと、
「人間には、

  誰かと同じようにすることで安心する人と、

  誰かと違うことで安心する人

  とがいるんじゃないか?」
と思いました。

さらに、
「それぞれの感覚を理解(しようと)しないと、
  お互いの感覚を壊してしまうんじゃないか」
と思いました!


例えば僕は、

「人ってそもそも別々の存在」

だと思ってます。

もちろん、
心や身体、縁が繋がったりすることはありますけど。

もっと分かりやすいとこで言えば、

「1人の時間(空間)」

が僕には必要です。

それは、
他人に対して信頼してないとか信用してない、
嫌っているとかってこととは全く違うのですが、

「1人の時間によってエネルギーを保てる」

のです。


世の中には、
これとは全く逆の感覚を持っている人もいるんじゃないかと思えるようになりました。

「人と(全て)同じだと安心できる」
「全部同じでいたい」

「1人が怖い(不快)」

という。

こういうタイプの人は、

「誰かと同じであることが安心」

になります。

※安心の対義語は「不安」です。

一方僕みたいな人は、
(もちろん人と繋がる安心感はあるものの)

「1人でいることが(も)安らぎ」

になります。

基本が「誰かと一緒」なのか、

基本が「1人」なのかの違いです。


後者はこれを寂しいとか孤独という感覚では捉えていません。
My Worldです。
自分の領域、世界観、自分のお部屋のような感覚です。


僕は、
僕と異なるタイプの人の感覚が今分かりつつありますが、

僕みたいな感覚が分からない人にとっては、

冷たい人・冷めている人に映るかもしれません。


決してそうなのではなくて、
男性と女性の性質が異なるように、
大人と子供が異なるように、
お酒の飲める人飲めない人とがいるように、

感覚の違いを理解し合ってお互いを尊重するのが、
これからのあり方じゃないでしょうか。


そしてMy Worldをもっているがゆえに理解されない人
— 僕のような人 — は、

そんな感性と才能でしか実現できないものがあるから、

「こんな自分はダメなんじゃないか」
なんて責めることなく、

大切に表現してこうね。


という話でした。

マジックアーティスト Matty