「空耳アワー」は先に見た歌詞のように音が聴こえる


テレビ番組『タモリ倶楽部』に、
「空耳アワー」ってコーナーがあった
(今もやってるのか知らない)。

視聴者から「日本語以外で歌われているが、
あたかも日本語のように聞こえる歌詞(空耳)」
の投稿を募り、制作サイドでつけた
イメージ映像を交えて紹介する
という内容である。
(Wikipediaより)

あれをタモリさんだったか、
「先に(空耳する)文字を見ているから
  そう聴こえるんだ」
と言っていたことがあったと記憶しています。

例えば…

オフコース・小田和正さんの
『言葉にできない』で、
あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて嬉しくて 言葉にできない
という歌詞がありますよね?

これが、

「あなたに会えて ほんとうによかった
  fresh good day fresh good day
  言葉にできない」

という文字を先に見ると…

「嬉しくて嬉しくて」が
「fresh good day fresh good day
(新鮮ないい日。笑)」
に聴こえたりします。


小さい頃これをテレビで聴いて、
僕は確かに聴こえる!と
感じた記憶があります。

※YouTubeなどで検索してみましたが、
CD音源のものがありませんでした。



まぁだから、
今回なにをお伝えしたかったかというと、

先にある(言葉の)イメージによって、
心が現実(聴覚)を作りますよってことです。


福島県内で
「福島出身です」
と言ったらそれは福島“市”を意味して、

東京で
「福島出身です」
と言ったらそれは福島“県”を
指すのと同じように。


分かりにくいか?まあいいか。

(相手と共有しているイメージが、
  福島県内なのか日本全国なのかってことです)



甥っ子や姪っ子と、
ここ2日くらい戯れていたんですが、

人間って生まれた時は
みんな自由な生き物だったんだな
と感じてました。

お腹が空けば食い、
眠くなったら眠り、
悲しくなったら泣き、
嬉しければ笑い、
楽しいことをやり飽きたらやめる、
うんこしたくなったらする、
マジックが見たくなったら
おじさん(Matty)に言う。

などなど。




いつからそういうことに制限をかけて、
「やってはいけない」とか、
「今はやめておこう」とか、
「中途半端はいけない」とか、
「失礼だな」と考えたりするんでしょうか?


社会性を身に付けたり、
常識を知ったり、
遠慮を知ったり、
自分をよく見せて
評価されることを覚えたり、
大人にならないとと考えたり
した時じゃないでしょうか。


そうした時、
あるべき人間になろうとしたり、
誰かのようになろうとしたり、
常識的であろうとしたり、
社会的であろうとしたり、
男であろうとしたりする、
長女であろうとする、
末っ子だけどお姉ちゃんのようになろうとする…。


「何か」になろうとしてそこへ近づくことで、
「自分」が死んでいく。

自己がなくなる。
自分の中心がなくなる。
自己中心性がなくなる。

自分が分からなくなる。
なぜ生きてんのかとか、
なんでこんな仕事してんのかとか、
楽しさとか喜びを感じなくなる。



おっと、話のスタートは、
『空耳アワー』でした。

誤った歌詞を先に頭に書き込むと、
そこへ聴覚が近付いてしまう
(合わせようとしてしまう)
というものでした。


「こうでなければいけない」
「昨日までの自分ではいけない」
「あの人のようにならなくてはいけない」

と頭に設定すれば、
その通りの苦しい現実(体感覚)がやってくる。。



生まれた時人はそれぞれ違い、
それぞれ自由だった。

お母さんのお腹の外から、
たくさんの声をかけられて生まれてきた。

「これをやってはいけない」
「こんな自分ではいけない」

という感覚がなかった。


心の中にある言葉を
切り替えていきませんか?


マジックアーティスト Matty