傷ついた時は思いっきり言ってみたらいいんじゃない? 〜中学校女性教師の例〜

中学生の時「生活の記録」
(という名前だった気がする)
というものがあって、

それは明日の時間割を記録したり、
1日ひとこと適当なことをメモして、
担任に提出して担任から何かコメントをもらう、

っていう毎日やりとりするものだった。

(あれはどこの中学校にもあるもんなのかな)


つっても中学生の僕に、
わざわざ担任に伝えたいことなんか特になくて、

書くことに困った時は、
その本の各ページに書かれていた
「哲学者の名言」的なものを
そのまま丸パクリで書いていたことがあった。


『人間は一本の葦(あし)にすぎない。
  しかしそれは考える葦である。』
(パスカル)

例えばこんな具合に。

もちろん当時の僕は(や、今も)、
哲学はよく分からないし、
“パスカル”って絵の具のバリエーションに
ありそうだなくらいの認識です。


『天才とは1%のひらめきと
  99%の努力である』
(エジソン)

これも書いた記憶がある。


もっといろいろ偉人達の言葉があったけど
そのほとんどを覚えていない。

今その言葉に触れたらきっと、
14年前には見えなかった世界が
見えたに違いない。


それでも書くネタがなかったある日、
僕はこう書いた。


『化粧して 首と顔とが 別の人』
『オバタリアン 化粧落とせば エイリアン』


ちなみに中学2年当時の担任は、
4月当初スカーフを首に巻いていた、
(おそらく)美意識の高い
20〜30代の女の先生だった。


そんなことを書いて「生活の記録」を提出。


その日の放課後、僕の手元に返ってきた
「生活の記録」にはびっしりと、
(怒りや悲しみがこもったような)
担任のコメントが綴られていた。


確か、

『先生も忙しくて
  化粧が雑になってしまうことがある。
  そんなふうに
  見られていたなんて残念です。』

こんな内容のことがもっとたくさん、
ページの隙間という隙間に
綴られていた記憶がある。



そのコメントを読んで僕はやってしまった!
と思いました。

僕が書いた二句、いやネタ

『化粧して 首と顔とが 別の人』
『オバタリアン 化粧落とせば エイリアン』

は、当時テレビで人気だった、
綾小路きみまろさんの
ネタをパクった言葉でした。

担任のお化粧になんか興味なく、
ただ笑えるネタを提供しようと書いただけでした。

が、

担任への誹謗だと勘違いされちゃった。


ので、

翌日そのまま、

『これはテレビで人気の綾小路きみまろさん
  のネタで、それをただ書いただけで…』

という謝罪?を書いて、

『先生の勘違いでした、ごめんなさい』

みたいなコメントがその後返ってきました。



はい、前置きが長くなったんですけど、

人の勘違いってこういうふうに
起こるんじゃない?って話です。


心のことを勉強してきた、
27歳の今の僕が振り返ると…

あの担任は容姿にコンプレックスを
抱えていたんじゃないでしょうか?

誰でもそういうのはあると思うけど。

そして隠したり抑え込んだ
コンプレックス(嫌な感情)は、
何かのきっかけで噴き出してきます。



だから、

例えば僕のブログを読んでいるうちに
何か嫌な感情が湧いたとしたら、
(僕が悪意を持って意図してる時は別として)

それはあなたの中(過去)に元々あった
感情がまだ残ってるよ!って、
噴き出しただけに過ぎないかもしれませんよ
ってことです。


ちゃんと向き合うと
あぁ自分の勘違い・思い込みか!
って気付いて、終わるから。

マジックの錯覚もほとんど思い込みだから


喉と腰を痛めていてだるくて、
絶不調なうです。。

なんか思い出したので、書きました。

マジックアーティスト Matty
Photo:藤原千鶴さん

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