生きる手間を愛する

昨今便利なこと・ものが増えて、
それが加速するにつれて、思うに、

「面倒なこと」が増えたように思います。

便利さが際立つほどに、
不便さ・億劫さも強調される。


そこで、
最近僕が心がけているのが、
不便さです。笑


例えば、
僕はiPhoneを2台持っているのですが、

(こう書くとなんだか仕事ができる人みたいですね。笑
  そういう意味ではなくて…)

ひとつは数年前に使っていた古いもの
(よって電話はできない)。

もう一台は今まさに使っているものです。


で、
古い方のiPhoneを音楽専用にしました。

そして新しい方のiPhoneは、
通常使用で、
音楽関係のデータ・アプリを削除。


あえてまとまっている機能をバラバラにして、
不便にしました。


こうすると何が起こるかというと、
音楽を聴くときは音楽だけに集中できます。

メッセージの返信をするときは、
その作業にだけ集中できます。


便利になっているとつい、
「ついでに…」って、
余計なことまでしてしまいませんか?

例えばSNSってとっても便利で
素早くいろんなとこにアクセスできて閲覧できるから、

つい無駄にたくさん情報をチェックして、
時間(ときに感情的なエネルギー)を浪費してしまう…。

そういうことってありません?


お出かけするときiPhoneで音楽を聴いているときも、
iPhoneを手に持って音楽を操作して、、

その「ついでに…」
Facebookも見てしまう、
Instagramも見てしまう。

自然に囲まれたり美しい景色を眺めたり、
美味しい料理を目の前にしたとき、

「これ写真に撮ってSNSで自慢しないと」
ってつい意識がそっちへいって、
目の前のことを味わい尽くせていない。


便利さと引き換えに、
目の前のことに集中すること、
それによって気持ちを休めること、
目の前の豊かさや感動をとことん味わうこと、

というのが難しい世の中になったと僕は思うのです。


お話を戻しますと、

便利になることによって、
面倒なことも増えていませんか?日常に。

掃除が面倒とか、
料理が面倒とか、
料理の後の片付けが面倒とか…。

それは思うに、
それらがマルチタスクでできないものだからだと思います。


今便利な生活があって、
便利なものは、

何かと同時に、ついでに、素早く
できてしまいます。

一方では、
何かと同時にできず、
相変わらずゆっくりとしかできないことがあります。


そういうのがこの時代とても面倒で、
敬遠されてしまいがちです。


でも、
もしかするとその不便さの中に、

幸せとか豊かさがあったんじゃないかとも、
僕は思います。


時間をかけて作って食べる料理
(なんなら買い物にだって時間がかかる)とか、

ひとり部屋にこもって想像して練習して、
完成させていくマジックとか、

歩いて公園に行って、
スマホをしまってじっと自然を感じる時間とか。


便利な生活の中にいると、

不便なこと
(でも幸せや楽しさや喜びや安心感のあるもの)が、
排除されていきます。

そうして忘れてしまった、
本来の人間らしい感覚を取り戻そう、

そう思うことがここのところあって、
必要以上の便利さから遠ざかろうと考えたのでした。


そのひとつが、
音楽を聴くためのiPhoneと、
通信用のiPhoneを分けるというもの。

その他にも、
複数のことを同時にやらないようにする、
ということも心がけています。

(並列処理だとかクロックサイクルだとか、
  脳科学の本もかつてたくさん読んだんですけどね、
  その時のライフスタイルには幸せを感じられなかったのです。)



自分の人生を生きる。
自分らしい仕事をする。
自分だけのアートをやる。

というのは、
ときに“面倒なこと”もあると思います。

とても手間をかける創作。

しかしその中にこそ喜びを感じてしまえるのが
アーティストって人間じゃないでしょうか。
困ったことに。笑

だからこそ、
日常の過度な便利さを手放して、
自分の楽しさである手間を再発見しています。


Matty


Sweetbox - Bullet Proof

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